2015年05月05日

俳優の堺雅人さんの姿勢がとてもきれいだなぁと思う。
様々な役を演じている堺さんですが、共通しているのは姿勢の良さなのではないかな。


強烈な個性の顔や体型、話し方や雰囲気、存在感の方は多くいるが、姿勢という観点から目に留まったのは堺さんが初めてかもしれない。
それほど作品は多く拝見していないのだけれど、やはりどれも姿勢がきれい。


姿勢がきれいだと、見ているこちらも姿勢がスッと伸びてくるような気がする。
私自身、姿勢はずっと悪かった。身長のせいにしたり、環境のせいにしたりして、姿勢を正すという事に向き合ってこなかった。大学時代に歩いていたら、知り合いから「下見てたら前ぶつかるよ」と言われたのは今でも心の中に残っている。それ位姿勢が悪かった。
武術稽古やヨガをやり始めてそれらは徐々にではあるけれど、変わっていった。


身体の偏りや歪みの修正、力まない事、筋を伸ばす事や、使い方を工夫する事を通して様々な部分を観てきたが、今は首を観ていく時期らしい。だから堺さんの姿勢が気になり始めたのだろう。堺さんは首に姿勢の特徴が表れているように思う。
首はよく、顎を引いて天を突くように首を伸ばせ、などと言われている。


以前、ヨガの講習で丹田強化法というものがあり、その中で両腕の肘を曲げた状態で掴まれて、それを気にせずに前へ走り抜くという内容のものがあった。この時、普通に前へ行こうとすると身体は出ていくのだが、腕が置き去りになってしまい、中々前へ進む事が出来なかった。そこで少し工夫して、首の辺りから頭頂を突き抜けて角が生えていく感覚を想像して行ったところ、何ともあっけなく前へ進めてしまったことがあった。これは首が整って、結果として身体が纏まったのだと思う。その時はその一瞬だったが、最近その首の感覚に気付いてから、首を伸ばす様にしていると、肩甲骨が閉じ気味になり纏まっているのだと気付いた。反対に顎を前に出し気味にして、首の力が抜けきっていると、肩甲骨が開き気味になり纏まりがなく、猫背になってくるように感じる。


1つの部分が修正されていくと、他の部分も結果的に修正されてくるのは身体の面白いところである。ホリスティックだと身体は、「木を見て森を見ず」ではなく、「木を見て森も観る」という考え方である。全体の中に部分があって、部分の中に全体がある。この部分を観ていったら、結果として他の部分や全体が関連している。
それは身体だけでなく、心にも密接に繋がっている。


姿勢がよろしくないと、気持ちの面でも不安定になりやすい。みぞおちが固まり、イライラしやすくなり、身体への負担も大きい。姿勢が整っていると、気持ちも安定し、落ち着いた感じになり、イライラも対処しやすくなる。
気持ちいい表現をする人に、背中が丸まってうずくまる人はなかなかいない。
気持ち悪い表現をする人に、背中を反らせて伸びをして表現をする人はなかなかいない。
身体の姿勢は心の姿勢にも表れるという事だろうか。





posted by シンイエ at 10:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

自然に学ぶ A


つづき



食事は生き物には大抵必要である。全く何も食べずに生ける人などいない。幸か不幸か、今は飽食の時代で何でも手に入る。餓死者は昔に比べれば殆どいないだろう。


しかし、肝心の食べている中身はどうか。極端な例ではあるが、コンビニのおにぎり、カップラーメン、野菜不足なので野菜ジュース等々。そこには「いのち」がない、と東城先生は仰っていた。その「いのち」とは何か?添加物まみれの食品やコンビニのおにぎりは殆ど機械が作っている。そこには情も何もない。栄養価の事等よりも美味しく、見た目がよく、また食べたくなる様にされた味付け。それが悪いとは言わない。そうであるという事。


ただ、そういったものばかり食していると、工業用水の様にどんどん身体の中が汚くなってくる。前回のブログに記入した通り、水がヘドロに変わってしまう。これではいかに環境を良くしようと思っても、元々の水がヘドロではどうしようもない。ここに東洋の心身一如の考え方が入ってくる。環境を良くしても水自体が汚染されていれば、不調になるだろうし、水がいかに綺麗でもゴミだらけの環境だったら忽ち水は腐ってしまう。どちらが欠けてもよろしくない。互いがバランスよく補い合う。そういう関係が理想的だと思う。


だからと言って、この運動は身体に良いからやろうだとか、この食品は健康に良いから食べよう、では当然おかしなことになる。頭でっかちになるだけだ。こうなると極端になりやすい。ずーっと同じ動きをして、同じものを食べて健康か。それこそ不健康になってしまうだろう。やはりバランス。
そして食べる事自体もバランス。食べ過ぎてばかりいないで出すことも大事、と東城先生。今は、殆どの人が過食気味なのではないかな。だから時には断食だって必要だと思う。お腹が空いて初めて本当に欲してるものが分かったりする場合もあるから。


多くの人は外へ目を向けがちだけれど、たまには内に向かって目を向けて、裡なる声を聴いてみるのも良い。
改めてそんな事を感じた講演会でした。



posted by シンイエ at 00:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月04日

自然に学ぶ @




先日、自然食で有名な東城百合子先生の講演会へ行ってきた。色々なお話を聞いていて、何か浮かんでくるものがあった。


考え方の1つとして、東洋の身体観には気血が巡るという考え方がある。


中国では経絡、インドのヨガではナディーと呼ばれているものが関係している。ザックリだが川の流れの様なものだろうか。当然それらが滞れば体調不良をきたし、病気の原因にもなる。水もそこに留まったままだと腐る。


古の中国から伝わる易筋経は、筋を伸ばす事が肝要と考えている。筋肉ではなく、筋(すじ)。これは興味深い。ヨガでも筋肉に柔軟性を持たせるのは結果としてそうなるのであって、それ自体が目的ではない。緊張と弛緩によって身体全体のバランスを取り、全身の流れを良くする。つまり、川の流れの道筋を、絶えずメンテナンスしている感じだろうか。ゴミが溜まれば、水の流れも悪くなり腐りやすくなる。


ただ筋肉を伸ばす様な、いち、に、とストレッチをやるのと、意識を通して筋が伸びていく状態を観ながらやっていくのでは、はたから見れば同じでも、やっている当人の感覚や深みはかなり違ってくる。これは、ヨガとストレッチの比較だが、元々ストレッチもヨガが源流で、それを簡易化したものがストレッチだと考えられている。ストレッチは身体だけだが、ヨガは心身一如の考えなので、その状態を観ていく。テレビを見ながらというような、ながら運動では決してない。


話がそれてしまったが、とにかくこの筋を伸ばす事が、身体の環境を良い状態に持って行くと言える。しかし、環境がいくら良くても、流れている水自体が泥水であったり、ヘドロであったらどうか。元も子もないと思う。ここに食事を考えるキッカケがあると思う。


つづく

posted by シンイエ at 23:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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